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トロイの遺跡


場所: トルコ・エーゲ海地方
 
トルコの地図
世界遺産名: トロイ遺跡
登録年: 1998年 
種別: 文化遺産
   

シュリーマンが最初に遺跡と財宝を見つけた場所
ここがトロイ遺跡だといわれても周りには何もない。チケットを買って中に入ると右手にいかにも作り物の木馬がおかれているが、まっすぐ進む。
いくつかの城壁の跡の間を通り抜けて階段を上がると見晴らしのよい丘の上に出る。観光バスで通ってきた道は平らだったが丘の上を走っていたようだ。
数キロ先に海が見えるが、古代には城壁の近くまで海がきていたという。
なるほど、トロイは古代のエーゲ海交易の中心地だったのだ。

写真はシュリーマンが最初に遺跡を見つけた場所で、多くの財宝がここで発掘されたという。しかし、どう見ても金銀宝石が発掘されるような場所には見えない。こんな何もない丘にどうして財宝が眠っていることがありえようか。疑問なしとしないが、証拠の写真があるので後で紹介しよう。
   

トロイ遺跡の丘の最も高い位置から海の方をみた風景。
一面の小麦畑で、ずーと向こうにエーゲ海が見える。 畑からの高さは50mもないだろう。通り抜けるエーゲ海の風が心地よい。
古代の栄華をしのばせるものは、小さな石を積み上げた城壁の跡のみ。

トロイの歴史は、紀元前3000年にさかのぼる。ここで初期の青銅器文明の時代に集落がおこり、やがてエーゲ海交易の中心地となっていたようだ。
エーゲ海と黒海を結ぶダーダネス海峡のエーゲ海側の出口に面し、文明の海上交差点といった位置にある。
初期の集落から古代ローマ時代までの3000年の間に9たび起こり9たび滅んだといわれている。遺跡は最初の第1市から古代ローマの第9市までが見つかっている。

   

写真は、9層の遺跡がわかるように発掘されている場所。トロイとギリシャが戦争をしたのはB.C.1200年頃で、遺跡の第7層に該当するもので、トロイはB.C.2500年頃から興ったのではないかと見られている。
9回おこり9回滅んだが、10回目の復興は成らなかったのか遺跡はない。

トロイの跡 丘に染み付く 戦士の涙
9たび興り9たび滅びぬ

白き大地に オリーブの木が生え その根に顔を出す 古代の白き夢遺跡

トロイのこの場所は、広い所でも200mくらいの幅しかなく、王宮の跡だったのではないかとみられている。庶民が生活していた場所は、丘側の城壁の外だったようだ。

   

城の中心地の宮殿に続く石造りの坂道。

この坂道の付近でシュリーマンは財宝を発掘したといわれている。
敵の進攻を妨げる目的といわれているが、この坂道の下まで、「トロイの木馬」が運ばれたのではないかといわれている。

城壁の石はそれほど大きくはないが、うまく組み合わされて崩れにくくなっている。石を組む技術は高度なものだったようだ。

   
アレキサンダー大王も訪れたというトロイ。
ローマ時代には、さまざまな儀式も行われ、生贄の儀式もよく行われたようだ。
写真の井戸のようなものは生贄の血をためていたといわれる井戸。 なんのことかわからないが、トロイ時代には生贄の文化があったのだろうか。
   

トロイは、紀元5世紀頃まで続いていたがその後は、歴史の闇に沈んだ。

写真は、ローマ時代の小劇場=オデオンの跡。規模は小さいが、当時は木製の屋根がついていて、音楽や劇や集会などが行われていたという。
このオデオンの反対側にはローマ人御用達の公共浴場の跡がある。
当時のローマ人もトロイ戦争の話をしっていたのだろうか。トロイ遺跡の上に自分たちの都市を築いたのだから、なにがしかのトロイへの思いがあったのだろう。 古代ローマ人には、自分たちの遠い先祖は、ギリシャと戦って敗れ世界に散って行ったトロイ人であり、自分たちはその末裔であるという思いがある、という話を聞いた。古代ローマ人はギリシャ文化への憧れと同時に、反感も強かったという。

   
夏草や つわものどもが 夢のあと

緑の草原にころがる白い大理石が美しい。
発掘された大理石の柱や梁が、草むらにおかれている。加工された大理石が無造作にころがっている風景は、どうしても詩になってしまう。当時のトロイの人々の生活や願いや夢を想ってしまう。日本人はどうしてもこういう風景を見ると、無常観に沈んでしまう。
人間の営為や文明というもののはかなさを感じずにはおれないが、その遺跡を観光している自分がいて、だから人間って面白いと思い直して、勇気も湧いてきた。
   

あの有名な「トロイの木馬」。

実物大?を再現したとのことだか、つかにも作り物。
敵が残していった木馬を、記念品だと思って城内に入れるほど間抜けだとは思われないが、なんらかの「だまし討ち」の事実を暗示しているのではないか。

ギリシヤの詩人ホメロスの「イリアス」にトロイ戦争のことが書かれている。
神々の宴で、ゼウスの妻で結婚の神ヘラ、知恵の女神アテナ、美の女神アフロディーテの3神が、誰が一番美しいかを競ってゼウスに判断を求めたという。困ったゼウスは、その判断をトロイの王子パリスにゆだねることにした。3人はそれぞれ賄賂をちらつかせるのだが、アフロディーテは自分を1番にしてくれたら絶世の美女ヘレネと結婚させてあげるという提案をした。パリスはその提案につられてアフロディーテの勝ちを宣言し、美女ヘレネをもらったそうだが、美女ヘレネはギリシヤのスパルタの王妃で結婚しており子供もいたという。
それに怒ったギリシヤはトロイに大軍を向けて、10年に及ぶトロイ戦争がはじまったのだとか。
ギリシアの変な3女神がからんだ戦争で、女性をめぐる争いだったというから、古代の変な戦争だったとしかいいようがない。

   

木馬が置かれている近くに展示室があり、トロイの遺跡を写真や図で紹介している。
写真の女性はシュリーマンの妻とも愛人ともいわれるヘレン。
シュリーマンは発掘した財宝をすべて自分のものにすると母国のドイツに持ち帰り、借金や保証金のかたに取られそうになるとヘレンにすべてあげてしまったという。
写真の女性はシュリーマンからもらった財宝で飾ったヘレン。シュリーマンの古代への情熱とは何だったのだろう。古代トロイが女性をめぐる戦争のために滅んでしまったのだとすると、3000年後にそれを発掘したシュリーマンは、また女性問題で身を滅ぼしてしまったというのも、因縁めいている話だ。

その後、財宝はドイツに寄贈されたが第二次世界大戦後行方不明になり、ソ連崩壊後に発見されて現在はサンクトペテルブルクにある美術館に展示されているとか。
シュリーマンはトロイを発掘して少年時代の夢を実現した話で有名だが、トルコ政府との契約を反古にして財宝を独り占めした彼はトルコではあまり評判はよくないようだ。

   
 
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