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世界遺産 「ベネチィアとラグーン」1987年        イタリアの地図



海岸に面したドッカーレ宮殿。

ドゥカーレ宮殿

 共和国の政治の中心となった宮殿。パックの塔は鐘楼。
 水の都。アドリア海の女王といわれる。船からのアプローチはなるほどと思わせる。中世の街をゴンドラで散歩という感じ。
 ベネチィアはアドリア海に面した潟の中にある。潟はいくつかの崎浜により海から守られている。川からの堆積物と海からの波浪による浸食の危ういバランスの上にベネチィアの街は成り立っている。潟の防衛は国防そのものだった。潟には3本の川が流れ込んでいるが、いつしか潟が堆積物で埋まりかかった。そのため川が潟を迂回して海に流れるようにする工事などもおこなった。
 伝説では、5世紀のフン族・ゲルマン人のイタリア侵入を避けるため、陸地よりこの潟の中に移り住んだのが、ベネチィアの始まりと言われている。
 潟は、117の小島、150の運河、400の橋より成り立っている。マルコポーロが生まれた町としても知られ、1096年に始まる十字軍の遠征によりアドリア海交易の中心港として繁栄した。それにより輝かしい都市国家共和国の繁栄が始まる。


サン・マルコ寺院。 入り口は海水に浸るのが慢性化している。

サン・マルコ寺院

 823年にベネチィアの商人が、エジプトのアレキサンドリアから聖マルコの遺体を持ち帰った。これ以降ベネチィアは聖マルコを守護聖人と仰ぐことになった。聖マルコの遺体を納めるために建てられたのがサン・マルコ寺院。十字軍がコンスタンチノープルより持ち帰った戦利品なども並べられている。
 丸い屋根のルネサンス風でありながらその上に尖塔を持つ華麗な寺院。寺院の入り口付近は海水がわき出て手水たまりになっていた。このあたりは海水がちょっと高くなるとすぐに水浸しになってしまうとのこと。
時を超え 水にしたたる サンマルコ。

聖書を抱いた羽のあるライオン

 この「聖書を抱いた羽のあるライオン」のシンボルはベネチィアの象徴。聖人マルコのシンボルが羽の生えたライオンで、マルコがベネチアの守護聖人であることから、羽の生えたライオンがベネチアのシンボルとなっている。サン・マルコ寺院の屋根にもこのマークがついている。
 翼をもつライオンは最強であり、その強者が聖書を抱えている。軍隊と宗教の結びつきは十字軍のイメージで、宗教が支配した中世の暗さと怖さの象徴のようだ。ルネサンスのイメージと合わないが、像のイメージはよくできてている。このライオンの黄金の翼の上にベネチア市民が乗って空を飛ぶという夢想か。

 イタリア統一への思いを込めた、「飛べ、我が思い、黄金の翼にのって」(ベルディの歌劇「ナブッコ」)をイメージさせる。さすが、イタリア人の思いは熱い。

 

キリスト教のシンボルはたくさんあるが、ヨハネは鷲、マタイは天使、ルカは雄牛、マルコは翼をもつライオンだ。マルコのシンボルがやや好戦的だが意匠として面白い。


ドゥカーレ宮殿


 ベネチア共和国の政治の中枢。華麗な宮殿。外見の華やかさとは別に、内部はさすがに年代を感じさせる。なにしろ政治の舞台は中世から18世紀にかけてなのだから。
 政治の場なのに、このような華麗な宮殿風のつくり。地方の自治体が内容に不釣り合いな豪華な庁舎を建てる、経済1流、政治は2流の極東の国と似ている。
 しかし、ベネツィアの中世的洗練はさすがだと思う。


広場はハトでいっぽい。あたりかまわずフンを撒き散らしていた。

サン・マルコ広場

 寺院・ドゥカーレ宮殿の前の翼をもつライオン=ベネチアの守護神聖マルコの象徴。
 サン・マルコ寺院前の広場、世界一美しい広場だと言われている。
 広場の右手の建物が古い行政府、下の写真の左手の建物が新しい行政府。16〜17世紀に建てられた。
 日本でいえば、戦国から江戸初期の時代、このような建物を必要としたベネツィアは、さすがアドリア海の覇者といわざるを得ない。建物は現役でつかわれているようだ。
 人も鳩も午後の一時を憩い、楽団が軽音楽を流していた。アイスクリームをなめ、カプチーノをすすれば、気分は完全にベネツィアの旅人。後戻りすることのない時間の流れの中で、ベネツィア栄華の歴史を想う。

 アドレア海の女王と称えられ、有数の軍事力を有し、交易を独占して世界の冨を集め、ベニスの商人の名前を高め、抜きんでた経済力を誇ったベネチィアも18世紀には衰え、「歓楽の首都」というあだ名がつくほど堕落してしまった。

 都市共和制国家だが、世襲的な身分制が固定し、富豪は貴族となり、特権階級による独占的な支配が続いた。それが時代の流れからベネツィアを遅れさせることになったようだ。
 外に対しては妥協平和的な政策を、内に対しては警察による公安秩序維持の体制をとることになる。
 18世紀ベネツィアは、警察による政治弾圧を強めれば強めるほど、風俗の規制をゆるめた。そのことがベネツィアを世界の「歓楽の首都」とした。市民は遊んでばかりいた。半年もカーニバルが続くこともあったという。仮面が街にあふれ、酒が大量に消費され、人妻であれ後家であれ娘であれ、仮面が階級を隠し、娼婦となんら変わらず、乱交パーティにしたったという。旅行者はこの堕落を怒りつつ、喜んだ。
 天才的な色事師カサノーバはこのようなベネツィアから生まれた。

 






ゴンドラセレナーデ

 コンドラに乗って、水路を巡る。頼めばカンツーネを歌ってくれる。ただし、このゴンドラセレナーデは贅沢な観光客向け。潟の中につくられた水路の街だから自動車は走れず移動手段はゴンドラと呼ばれる小さな舟しかない。モーターボートのタクシーや乗り合いバスの船もある。

 街のなかの主な道路は水路。街の中を迷路のようにはりめぐらされている。現在では考えられない街だか、中世から近世にかけてはこれが現実的で、十分にやっていけたのだろう。現代から見るとよくこんなところで生活が成り立っていけるものだと思う。自動車が走れないからではない、上下水道やガス・電気などのライフラインからみても最悪。近世と同様、文化と観光と享楽の街、ベネチィアというこころか。

 中世の町中をゴンドラに揺られて散歩というのは、気分のよいものだ。世界は広いがこれほどの水の街はベネツィアだけ。
 左の写真のゴンドラてたっているおじさんがカンツォーネを歌う。手前にはアコーデオンの人がいる。カンツーネはこんな場所で歌うとよく似合う。イタリア人の熱い心にはカンツォーネが似合う。
 なんとなく、氷川きよしが歌う演歌はカンツォーネににていると思う。和風カンツォーネか。


粋でいなせなゴンドラのお兄さん

傾いたままの教会の塔

 地盤のせいだろうか、教会の塔が傾いている。しかし、傾いた古い塔がいい味をだしている。観光客はこういうのを喜ぶ。ベネツィアの人は何が人を喜ばせるか、よく心得ている。
 上の写真のゴンドラのおにいさんの左手の塔がそれ。写真が広角ぎみだからよくわからないが、側でみると結構傾いている。傾いているからといって直そうとはしない。イタリアの街はどこへ行っても観光客を喜ばせる仕掛けに長けているようだ。ピサの斜塔といい、イタリア人のおおらかな遊び心が、日本人にもあれば、世の中、もっと楽しくなるのだが。

 

ベネチアングラス工房

 ベネツィアンガラス工房での観光客向けの実演。実際の作業風景ではない。ガラス職人の妙技が見られる。
 そうなるだろうなあと思いながら、やはりつられてワイングラスを一式買ってしまった。まあ、旅の記念といったところ。

 
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