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ロゼッタストーンとヒエログリフ [地図]
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記念に求めたロゼッタストーンのレプリカ。古代エジプトの神聖文字(ヒエログリフ、象形文字の一種)、デモティック(民衆文字)、ギリシャ文字の三種類が刻み込まれていた。それがヒエログリフ解読の突破口になった。 |
ナポレオンのエジプト遠征とロゼッタストーン 1799年のナポレオンによるエジプト遠征のとき、支配下の軍人の一人がナイル河口西岸のロゼッタ村で砦を築く作業中に偶然発見する。黒い玄武岩の記念碑で「ロゼッタ・ストーン」と呼ばれる。高さ114cm、幅72cm、厚さ28cm、重さ762Kg。 |
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3つの言葉での記述がわかるように拡大したもの。 |
地中海はイギリス海軍のネルソン提督により制圧されており、フランスの共和国軍が出撃したとしても撃沈されるか捕虜になるかいずれかしかなかった。それなのに35,000人の共和国最強の軍隊に、21人の数学者、3人の天文学者、17人の民間技師、13人の博物学者と鉱山技師、4人の建築家、8人の画家、10人の文学者、22人のラテン語・アラビア語・ギリシャ語の活字を携えた印刷工といった華やかな面々が同行することになった。200隻の船は、待ち構えるイギリス海軍の間をかいくぐってエジプトのアレクサンドリアに着いた。 当時、エジプトはトルコ・オスマン帝国に支配されていて、支配者層のマムルーク族が王朝を建設し13世紀以来支配していた。ナポレオンはカイロの入り口のピラミッドの戦いでマムルークを破った。その時の戦いに臨んでナポレオンが「兵士諸君、4000年の歳月が諸君らの戦いを見守っている」と言ったとかという話しで有名。だが、フランス艦隊はネルソン艦隊の急襲を受けてほとんど全滅してしまい、フランス軍はエジプトに閉じ込められることになってしまう。 |
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アレクサンドリア図書館。紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトのアレクサンドリアに建てられた図書館。古代最大にして最高の図書館、最古の学術の殿堂といわれている。カエサルのエジプト征服時に消失したとも、キリスト教徒により放火されて消失したとみ言われている。 |
ナポレオンはそれにもめげず内政を充実させることでエジプトの発展を企てた。病院を建て行政組織を確立し、税制を整備し、人口調査も行った。宗教の尊重はフランス占領政策の中でも最もきわだったものだった。マムルーク族の封建制度を解体し、紅海と地中海を結ぶ水路(1869年の163kmのスエズ運河として開通)の建設を計画し、農業振興のために水路を整備し、教育の面での改革も行われた。 だがナポレオンは、フランス情勢の緊迫をうけ、軍隊を置いたまま一人エジプトを脱出することになる。 1801年、フランス軍は英国とオスマン帝国の連合軍に敗れ、アレキサンダー条約によりロゼッタ・ストーンは英国に接収された。現在、ロゼッタ・ストーンは大英博物館で展示されている。 「しかし、このでたらめなエジプト遠征は、世界観に大きな影響を与えた。この遠征は、忘れ去られ、神秘のベールにつつまれていた古代エジプト文明に光をあて、近代エジプト学を誕生させた。また、エジプトの経済的な発展にも貢献した。」 |
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シャンポリオンのヒエログリフ解読 ロゼッタ石発見から20年後、フランスのジャン・フランソワ・シャンポリオンは神聖(聖刻)文字(ヒエログリフ)の解読に成功した。ギリシャ語の「プトレマイオス」のことばから出発して、ヒエログリフの王名枠(カルツーシュ)からもプトレマイオスとクレオパトラのカルツーシュを見出し、4つの音価を発見し、他の記号にもアルファベットの音価を当てはめることに成功した。こうしてシャンポリオンは表意と表音の入り混じった神聖文字(ヒエログリフ)を解読していった。 |
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シャンポリオンは、プトレマイオスとクレオパトラのカルツーシュから出発して、24人の王(ファラオ)の名前を解読し、アルファベットとヒエログリフ・テキストとの関係を解明していった。 掲載した画像の多くは、王墓と王妃の墓の壁画である。墓の中は撮影禁止だが、あまりにも美しいので、いくつかの資料から画像を使わせてもらった。 |
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| 「私はマムルーク族よりも、神や預言者やコーランを尊敬するものである。」 「イスラム教徒に対する聖戦を欲する教皇を打ち破ったのはわれわれではないか(1798年のローマ遠征)。神がイスラム教徒への戦争を望むなどと考えているマルタ騎士団の狂人どもを打ち破ったのはわれわれではないか。」(ナポレオン) |
ナポレオンがエジプト遠征に来た当時(1798年)、エジプトはトルコの隷属軍隊だったマムルーク族が支配階級を形成していた。エジプトはマムール族の時代遅れの支配にあえいでいた。政治面でも経済面でも著しく停滞していた。ナポレオンは、トルコのスルタンとマムルーク族からエジプトを解放しようとするものであるとエジプトの民衆に訴えた。 左のようなことをいっている。これだからナポレオンは面白い。今なお人気が高い理由なのだろう。 (「古代エジプト探検史」吉村作治監修 創元社 より) |
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アレキサンドリアの「ポンペイの柱」 |
![]() デビッド・ロバーツのポンペイの柱の絵。 |
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カーイトゥベーイの要塞 |
カーイトゥベーイの要塞 エジプトには、交差点の信号のようなものは僅かしかない。人々は車の間を縫って道路を渡る。交差点には信号がない。道路を渡るのは命がけ。信号はあった方がよいのか、ない方がよいのか。信号機に電気や設置・維持費用をかけるよりない方が交通もスムーズで早い(?)、無信号はエジプト人気質にあっているようだ。 |
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アレキサンドリアのタクシーは黄色と黒。 |
アレキサンドリアのタクシーは黄色と黒、カイロは白と黒、ルクソールは白と水色、なぜかこの2色。ナンバープレートの数字もアラビア語。 |
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観光用にナンを焼いているところ |
観光用にナンを焼いているところを公開していた。エジプトのナンはなかなかいける。街中のパン屋に人がたくさん並んでいる。公共のパン屋で安いのだそうだ。 |
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