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鳴子(なるこ) [地図] 平泉を出た芭蕉たちは、一の関を通り鳴子を経由している。鳴子は温泉場として知られていたが、芭蕉たちは宿泊せずに、先を急いでいる。 |
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![]() 尿前の関跡。在りし日の風情がしのばれる。この関所を通るのに芭蕉たちは苦労したようだ。連歌師・俳諧師などは密偵の扮しやすい職業だった。 |
尿前(しとまえ)の関[地図] 仙台藩と出羽の国境の関所。通行書のようなものを持たない芭蕉たちはこの関を越すのに苦労をしたようだ。旅の俳人として通用したのかどうか、「乞食の翁」であってみれば、関守にも怪しまれないはずはない。 |
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![]() 尿前の関の前にある石碑。芭蕉がここを通ったときも雨が続いていたようだ。 |
尿前の関の前にある石碑。 |
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![]() 封人の家。家の左手に「蚤虱(のみしらみ)馬が尿(しと)する枕元」句碑がある。 |
封人の家 封人とは国境を守る役人のこと。 写真は当時の様子を伝える「封人の家」。玄関を入ると土間があり、そこで煮炊きをするようになっているが、すぐ右手には馬小屋になっている。大切な馬は人間と同じ家に住んで寝食をともにしていた。この地方では当たり前のことでも、関西と江戸住まいの芭蕉には、驚きだったのだろう。 |
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![]() 封人の家の中にある馬小屋。当時の東北では家の中に馬小屋があるのは当たり前だった。 |
いささか趣味の悪いこの句はここで生まれた。家に泊めてもらった芭蕉たちは、馬の前の土間にわらか何かを敷いてそこで寝たのだろうか。土間の左手は座敷になっているが、芭蕉たちは座敷で寝ていたはずだが、馬が尿する音は聞こえただろう。「桑門の乞食」としては面白い趣向だが、江戸の高名な俳人が馬小屋に続く土間で寝ていたはずはない。だが、芭蕉の風狂趣味は、もっと面白い表現を求めた。 |
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![]() 封人の家の左手に「蚤虱(のみしらみ)馬が尿(しと)する枕元」句碑。 芭蕉にこんな句をつくられて、ありがたい句なのだが、「芭蕉先生、もうちょっとなんとか」といいたげな、地元の人の苦労がしのばれる。 |
蚤虱(のみしらみ)馬が尿(しと)する枕元 左の写真は「封人の家」の横にある石碑。 |
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![]() 鳴子温泉が見た山々 |
芭蕉は雨のため封人の家に3日も逗留したとしているが、曾良日記にはそうはなっていない。それにしても出羽街道中山越の道は、相当な風流いや風狂だったにちがいない。 芭蕉は、おくほそ道で曾良の句として、 |
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![]() 山刀伐峠の道 |
山刀伐(なたぎり)峠[地図] 笹森・赤倉温泉から尾花沢に抜ける山刀伐峠は、名前の怖ろしげなわりにはそれほど険しい峠道ではないが、当時は山賊が出たようだ。それにしても「なたぎり」とはすごい名だ。何が出てもおかしくはない。 |
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![]() 尾花沢側からの山刀伐峠の入り口 清風は「富めるものなれども志いやしからず」と芭蕉に評価されていたが、富めるものには志のいやしい人が多いということか。芭蕉たちが尾花沢に着いた翌日、お寺で風呂に入ったり、奈良茶飯などを食べたりして、養泉寺というお寺に泊まった。芭蕉たちは尾花沢に10日余りも留まった。 |
尾花沢側からみた山刀伐峠への入り口。峠を越えて芭蕉たちは、尾花沢の紅花の豪商・鈴木清風を訪ねる。
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![]() 立石寺の境内の石に座って涼をとる芭蕉(左)と曾良(右) 。芭蕉の顔は句想をねっている様子で、「山寺や石にしみつく蝉の聲」(最初の案か)といった顔をしている。 |
立石寺 [地図] 芭蕉と曾良は、予定になかったが、清風に勧められて立石寺に立ち寄ることにした。立石寺は通称山寺。境内の石に座って涼をとる芭蕉(左)と曾良(右)。
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「閑さや岩にしみいる蝉の声」の石碑 |
芭蕉と曾良の間にある石碑。 「閑さや岩にしみいる蝉の声」 芭蕉は、山寺の坂道を登っていく。今のような、車と人の騒音はなかっただろう。すべては深山の静寂のうちにあった。岩山のきつい坂道が続く。年輪を重ねた杉の木。流れる汗。染み付いてくる蝉の声。 閑さや岩にしみいる蝉の声 この句は最初は、 山寺や石にしみつく蝉の声 だったという。これが推敲のなかで「岩にしみいる蝉の声」になった。私のセンスでは、「閑かさや」でも「山寺や」でもいいように思う。ぞれぞれ別の句として味わいがある。「岩にしみいる蝉の声」が「山寺」にかかるのか、「閑かさ」にかかるのかの違いだろう。 盛夏8月、「岩にしみいる蝉の声」が 「閑かさ」につながっていく一瞬を体感するため山道を登る。幸い、あたりはすべて蝉の声につつまれている。 |
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山寺の坂道。整備されていて歩きやすい。 |
私の前を歩いていく、老夫婦の歩みが遅い、多少いらつきながら後を歩く。途中途中に「蝉塚」や句碑などがある。子供たちの大集団がふざけ合いながら私の横を駆け抜けていく。子供を抱えた夫婦が助け合いながら登っていく。これに、旅行者の集団が加わると、階段を登るのも、朝の通勤時の駅の階段のような状態になる。 仕方がないので、踊り場のような場所で、とにかく静寂の時を待つ。だが、あっちこっちから聞こえる人々のざわめき、子供たちの嬌声。だめだ、山寺立石寺は、リッバな観光地なのだ。 ということで、芭蕉の「岩にしみいる蝉の声」が「閑かさ」に変わる一瞬に出会うことは、かなわなかった。山寺で静寂を楽しむには、季節と時間が悪かった。平日に麓に宿をとり、早朝か夕方に登るべきであった。 |
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![]() 山寺の頂上付近から見た。 当時は人家も少ない山の中だったのだろう。 |
凡夫の句をひとつ。 煩悩や岩にしみつく蝉の声 |
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![]() 静かに流れる最上川 。釣り船だろうか。 |
最上川 芭蕉は本合海の大橋のたもとから舟にのり、清川の関所で舟を上がった。昔は本合海から米を舟に積んで酒田に運んだという。 川舟や淀みに朽ちて最上川 下の写真は、本合海の大橋のたもとに立つ芭蕉と曾良。思えば遠くに来たものだ、という感慨だろうか。 |
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![]() 本合海の大橋のたもとに立つ芭蕉と曾良の像。 船乗り日和りを待っているといった顔の二人。「新古ふた道」の俳諧に蕉風の道しるべを残そうと、旅の疲れに鞭打って句会に出たようだ。 |
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![]() 最上川 。正面の岩にぶつかり、左に曲がっている。この川の水量が増えた時の怒涛の様子が目に浮かぶ。 |
新しい俳句の表現をもとめて、芭蕉は旅をしている。ここまで旅を続けてきて、芭蕉は新しい俳句の境地を実感したのではないか。
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![]() 羽黒山の本堂 |
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![]() 羽黒山の本堂の前の芭蕉像。 |
![]() 羽黒山境内の芭蕉の銅像。やや貫禄があるが、精悍な顔の表情が私の芭蕉イメージに最も近い。 芭蕉は羽黒山でもてなしをうけ、月山・湯殿山にも登る機会を得た。最初から予定していた行程だったのだろう。私の場合は、月山・湯殿山に登るのは次の楽しみにとっておこう。 |
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![]() 芭蕉の銅像の横に立つ歌碑。上の芭蕉の句3つが刻まれている。 |
芭蕉の銅像の横に立つ歌碑。上の芭蕉の句3つが刻まれている。 |
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![]() 羽黒山よの月山を望む。雲のため何も見えない。 |
雲の峰幾つ崩て月の山 「雲の峰」が崩れる、この雰囲気を味わいたかったのだが、雲の峰は雲に覆われていて、何も見えなかった。 芭蕉や曾良は、神社に篤い。羽黒山の宿坊に泊まり、 月山・湯殿山にも参拝登山を行った。
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![]() 左が湯殿山、右が月山 |
山形側から見た、左が湯殿山、右が月山。 |
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| poto by miura 2005.9 mail:お問い合わせ 平泉へ | ||