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朝日町・新湊・金沢 |
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![]() 北陸本線。富山県に入ってすぐの場所。 |
「わせの香やわけ入る右は有磯海」 芭蕉が残した紀行文「奥の細道」中の「早稲の香や分けいる右は有磯海」の句は、従来定説として新湊あたりの奈古の浜で詠まれたものとされているが、芭蕉が越後の難所を越え、ようやく越中に入ったときの感懐を込めて詠んだもので、親知らず・市振を越えて富山に入ってすぐの場所という考えがあるようだ。 |
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![]() 富山県に入ってすぐの元屋敷という場所。「わせの香やわけ入る右は有磯海」のイメージに近いと思う。 |
有磯海は、北陸を代表する歌枕である。 荒磯の海ばどこにでもあり、そして早稲を掻き分けて見えた青い海も、おそらく日本全国の原風景のひとつだろう。芭蕉のこの句の鮮烈な原風景的・原体験的イメージに、人は感動せずにおれない。
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![]() 朝日町元屋敷にある芭蕉句碑。畑の中でようやく見つけた立派な碑。 |
「わせの香やわけ入る右は有磯海」 富山県下新川郡朝日町元屋敷に芭蕉句碑がある。 |
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![]() 市振を抜けると急に視界が開け、右手には紺碧の海、左手には早稲の田が広がる。黒部川をはじめ黒部四十八が瀬の多くの川が続く。 |
芭蕉らは、市振を出発し、新潟県糸魚川市市振から富山県朝日町をへて、入善町に入った。ここでは馬の便が無く、人足を求めて荷物を運ばせたようだ。 市振を抜けると急に視界が開け、右手には紺碧の海、左手には早稲の田が広がる。芭蕉も左手に写真のような風景を見ながら歩んだのだろうか。 黒部川をはじめ黒部四十八が瀬の多くの川を越え、夕方、滑川に到着してそこに一泊した。この日は雨後晴、暑気はなはだしかったようだ。 明くる日は快晴だったが、猛暑。朝、滑川市を出発して、富山には行かず、常願寺川・神通川・庄川を渡り、高岡市へと旅を続けた。猛暑のなか二人は疲労困ぱいし、この夜は、高岡に宿を取った。 |
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![]() 放生津(ほうじょうづ)八幡宮の境内。 |
放生津(ほうじょうづ)八幡宮 富山県・新湊市八幡町 この八幡宮の案内板によると、天平18年(746年)大伴家持が越中国守として在任中、常に奈呉の浦の風光を愛せられ、九州豊前の宇佐八幡神を勧請し、奈呉八幡宮と称したのが創始であると言われている。 砂地に松の八幡宮がすがすがしい。芭蕉が尋ねた奈古の浦の面影を少しだけ感じることができた。かっては神社のすぐ裏が奈古の海だったのだろう。境内には砂浜の雰囲気が残る。 芭蕉もこの境内を歩いたのだろうか。
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![]() 「わせの香やわけ入る右は有磯海」の句碑 |
境内には「あゆの風いたく吹くらし奈呉の海人の釣りする小舟こぎ隠るみゆ」の大伴家持歌碑と「早稲の香や分け入る右は有磯海」の芭蕉句碑が建っている。 写真は「わせの香やわけ入る右は有磯海」の句碑だが、さすがに年月を経て碑文は読めず石碑も中央から折れた痕がありそれを修復している。 |
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![]() 放生津八幡宮裏には「奈呉之浦」の標柱が。 |
放生津八幡宮裏には「奈呉之浦」の標柱がある。いつの時代のものだろうか。 奈古の浦 俤いずこ 放生津 |
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![]() 富山県小矢部市の倶利伽羅峠。 高岡市方面を望む。 |
倶利伽羅(くりから)峠[地図]
高岡をたって埴生八幡にお参りし、源氏山、卯の花山を通り(そんな山が昔あったのか)、倶利伽羅(くりから)峠を越えた。写真は、富山県小矢部市の倶利伽羅峠。国道8号線を離れて旧道に入り「源平ライン」より山道に入る。 越中(富山県)と加賀(石川県)の国境に位置する峠で標高は277m。源平の世、木曾義仲(きそのよしなか)が活躍した古戦場で有名。 木曾の山中で育った源氏の木曽義仲(きそのよしなか)。平家追討の命令を受けて、倶利伽羅峠の一戦に牛の角に松明をつけて、平家の陣中に放した。これが火牛の術という有名な話し。牛の松明に追い立てられた平家軍は山の上から谷に逃げ下り、谷は数万の死体で埋め尽くされたという。この峠への進入路がわからずずいぶん迷ってしまった。平家の亡霊がさ迷っていたのか。 |
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![]() 倶梨伽羅峠の「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」 |
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![]() 倶梨伽羅峠の「義仲の寝覚めの山か月かなし」の碑 |
義仲の寝覚めの山か月かなし(芭蕉塚) 「おくのほそ道」にはない句だが、「寝覚めの山」とはどういう意味だろうか。なぜ月が悲しいのか。わかったようでわからない。戦とはいえ多くの殺戮にさすがの義仲も寝ざめが悪かったのだろうか。 |
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金沢城の石川門口 |
金沢城 |
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![]() 金沢市兼六園内にある「あかあかと日はつれなくも秋の風」の句碑 |
金沢市兼六園内にある「あかあかと日はつれなくも秋の風」の句碑
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![]() 犀川大橋の東側の遊歩道にある「あかあかと・・・」の句碑。 |
犀川河畔 |
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![]() 金沢市野町2の願念寺 |
願念寺 [地図]
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![]() 願念寺境内の一笑塚 |
願念寺境内の一笑塚。 一笑の辞世の句が添えてある。 「心から 雪うつくしや 西の雲」 芭蕉の「塚も動け」というような激しい句と対照的に一笑の辞世の句はあまりにもやさしい。そのような一笑を芭蕉も愛したのだろう。
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![]() 一笑塚 にしがみつく蝉がら |
一笑の 塚いとほし 芭蕉の蝉 最初に訪れたとき願念寺の門が閉まっていた。対面の家のおかあさんに、「いつもしまっているのですか」と聞いたら、「いつもは6時には開いている」とのこと。先に成学寺に行ってきますといって分かれたが、私が成学寺を訪ねているとき、親切にも「願念寺の門が開きました」と知らせに来てくれた。金沢の人の親切に感謝。 |
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![]() 成学寺にも一笑の塚がある |
成学寺にも一笑の塚がある。 |
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![]() 成学寺の一笑の塚。 |
小さなお寺さんで、門を入ってすぐ左に塚がある。 一笑と芭蕉は会ったことがなかった。だが、芭蕉は一笑の名と句は知っていた(「あら野」)。芭蕉は一笑の句のセンスを愛したようだ。一笑が生きていれば、蕉風の継承第一人者になったのではないかといわれている。小杉一笑、享年36歳。 |
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| poto by miura 2006.8 mail:お問い合わせ 出雲崎・市振 | ||